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25/11/2004

イエン 3

イエンのことを書こうと思いながらも、やはり、話はあちこちに飛ぶ。記憶というのはそういうものだ。当時の私は日曜日の夕方になると、PHUONG OAINという観光地沿いのレストランで食事をとることが多かった。そこでチャームック(イカのてんぷら)でもつまみながらビールを飲んでいると、出勤する彼女たちをみかける。イエンも私の目の前を幾度も通り過ぎていっただろう。左に5分もいくと彼女たちが借りてる部屋があったはずだから。地元の店でうだうだしている私に彼女たちが声をかけていくことはない。足早に通り過ぎていく。彼女たちは水商売のヨソ者ということでちょっと下に見られている。住む世界が違うのだ。なかなか地域社会は複雑だ。とくにこんな田舎では。

PHUONG OAINには英語が達者な店員がいて、よく無駄話をした。私は英語が苦手だったが、彼女のほうにコミニケーション能力があるのだろう、ベトナム語と英語と日本語を交えながらも退屈はしなかった。彼女は胸にTIGER BEERと書かれた黄色いポロシャツをよく着ていた。そこはTIGER BEERの特約店だったからポロシャツはキャンペーンの販促品。だから、ほかの店員はティガーと彼女のことを呼んでいた。(当時のベトナム人は英単語をベトナム風の読み方をしていたりと、かなりいい加減だった。SONYをソリーと呼ぶのもいた。今では商標を変な読み方をするベトナム人はいない。TVCMをみるようになったからと思う。)
ティガーとバイクで2人乗りして丘の上のデンマーク人の家に遊びに行ったこともあった。デンマーク人はどっかの企業の駐在員だった。いつも一人でいることが多い私と引き合わせれば外国人通し仲良くするかと思ったのか、デンマークおじさんの家に女性一人で遊びに行くのが危険と思って私も連れていったのかは不明なんだけど。とにかく、そういうこともあったのだ。デンマーク人の家から見る海はほんとに見晴らしがよくてきれいだった。
ティガーは、デンマーク人ではなくフランス人のおじさんと結婚してフランスに行ってしまったので今は店にはいない。あの頃、フランスに行くための手続きと書類が揃うのを随分待っていたものらしい。

(そうそう、ティガーというあだ名だが、ベトナムでは虎は恐妻の例えでもあるようでやっかみの入り交じった悪口でもあったにちがいない。女というものは・・・・。)


ティガーがいなくなって、イエンもいなくなったころ。PHUONG OAINはTIGER BEERの特約店をやめてハリダビールの店になっていた。私は、やはり、いつものようにビールを飲んでいた。近くのテーブルに外国人と一緒に鶏の丸揚げ(たぶんチキングリルとかいうメニューだ)を食べているベトナム女性を見つけた。知っている顔だ。リンだ。ディスコフロアで踊っているメンバーの一人。私の顔を見ても澄まして鶏を食べていた。もちろん鶏は田舎の結婚式には必ずでる定番の大御馳走だが、ここは海産物が売り物のレストラン。リンにとっては考え得る一番の贅沢だったのか。ちょっと考えすぎだろうか。もくもくと鶏をたいらげるリン。礼儀として私も他人の振りをした。まず、彼女が外国に嫁入りすることはないだろうけど。

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22/11/2004

イエン 2

イエンには・・・とひっぱったのに、あっさり横道にそれる。イエンの年齢は27歳だったろうか、24歳だったろうか、最期に会ったのが27歳のときだったか。またまた、私の記憶はたよりない。イエンが27歳といっていたとき、世の女性の例に漏れず、30歳を少々越えたあたりだったんじゃないだろうか。と今になって思う。べつに歳のことはいいか・・。
ディスコフロアとカラオケルームとバーカウンターがある外資系ホテルの付属施設。(ホテルとは独立採算性であった。)そのなかの、ディスコフロアとカラオケルームがイエンたちの職場だった。普段はディスコフロアで踊っていて、お客に呼ばれればカラオケルームで花を添える、という仕事。アジアでカラオケといえばいかがわしい場所と考えるむきもあるだろう。けど、外資系ホテルということもあって、地元公安当局との関係が薄いためか、早い話が賄賂をつかってないためだ、法遵守で、実に健全な場所だった。ここで働いている女の子達は、「私たちは外国人相手なのよ、*カーベアではないのよ」、というプライドがあるようで、その論理はよくわからないのだが、とにかく微妙なバランスの上で働いていた。それに、美人なら、もっと若ければ都会のハノイに行くだろう。もっとアンダーグランドな店に移ればもっと稼げるだろう。割り切って上手に金持ちの彼氏を捕まえる方法もある。そんなことをするわけでもない。とにかく、そういう不器用なごく普通の女性が当時はそこに集まっていたように思う。田舎者ばかり。カラオケ勤めといえばベトナムという保守的な社会で世間体は悪いにはちがいない。働いているのは食堂とかなんとかいって田舎からでてきてるに違いない。もちろん、そうでないことは誰もが承知だが、そこは暗黙の了解なのだろう。お客に呼ばれてカラオケルームに行っても、マイクを握ると自分だけベトナム歌謡曲を連続でうたってしまうような接客の素人。
今、思えばのんびりしたものだ。イエンがいなくなった頃、そんな時代も、あっという間に変化していく・・・・。

話をイエンにもどそう。多少の人望があったのか、単に年の功だったのか、イエンは職場ではママをしていた。月給が100ドルで、お客に女の子達の配分や管理をうまくするのが仕事だ。普通の女の子は月給が30ドルくらいではなかったろうか。あとはチップで稼ぐ。ママはチップ収入がないので大きく稼げないが手堅いというポジションである。私はイエンとは気楽にはなせるような気がしたものだった。イエンは、ここより都会のハイフォンで働いていて外国人慣れしていたからかも知れないし、他の女の子とは違って、どこか冷めた部分が見え隠れしていてそこに惹かれたのかも知れない。


*カーベア  ホステスのこと。ニュアンスは売春婦に近い。侮蔑語。外来語のようだが語源は不明。

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18/11/2004

イエン 1

記憶はホントに曖昧だ。名前はヒエンだったと思うのだが綴りが思い出せない。綴りが思い出せないので名前の持つ意味も調べられない。本名はイエンだったかもしれない。同じ韻を踏む源氏名をつけることはよくあるようなのだ。イエンならツバメという意味だ。イエンはツバメという名前だね、といったところで、「イエンは私の名前。ツバメのイエンではない」と切り返される可能性もあって、ここでは日本のようにつけられた名前にそれほど意味があるわけでもないようだけれど。ということでとりあえずイエンということにしよう。

イエンは日本語を少し話す。というのも、日本人駐在員の恋人がいたからだ。イエンによれば彼が日本に帰国した時、日本で亡くなってしまい、ベトナムに戻ってくることはなかったそうだ。会社の人からそう聞かされたのだという。まあ、ウソであろう。彼に体よく捨てられたのだ。イエンだってわかっていたのだと思うけど。そのことを確かめる必要もないので真偽は不明だ。たぶん元気で日本で暮らしているんだ。と私は思う。

イエンには・・・続く

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06/11/2004

最近のよく眠れた映画が2本

一つ前のエントリーで、観た映画を覚えてない。老化現象かなあ。みたいなことを書いたんだけど。もしかして寝ていたかも?そうそう。最近見た映画で、気持ちよく寝れたのは

侯孝賢の「珈琲時光」。東京の風景を描写する光線の具合が心地よい。電車に乗ってるシーン多いですから、電車の音って眠りやすいのかも。田舎の墓参りだったかのシーンで急に明るくなって、ちょっと目が覚めてしまいました。だめじゃん。侯孝賢。

もうひとつお奨めは「らくだの涙」。これは、ほんと気持ちよくうとうとできました。お奨めです。舞台はモンゴル。子育てがイヤになった母らくだに音楽を聴かせるために・・・。という話で。実際にある音楽療法のドキュメンタリーらしいけど。ストーリーをほとんど追わなくていいのがいいですね。うとうとしながら見ていて、モンゴルの音楽を聴いて、スクリーンでは母ラクダが母性にめざめて、めでたしめでたし。

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04/11/2004

そして人生は続く

今回の中越地震の映像をみていて思い浮かんだのはキアロスタミの映画だった。でも、なんか、全然、覚えてないんだよね。映画の内容。地震で崩れた街を訪ねようと、車で向かうドキュメンタリー風映画というだけで。たぶん、あまり、面白いとかとも思わなかったんだと思う。それで、タイトルも「それでも人生は続く」だと思いこんでいた。こんな悲惨な目にあったけどもそれでも人生は続いていく。みたいなちょっと人生に諦観したような映画だと思いこんでいたということ。グーグルで確かめたら「そして人生は続く」だった。「AND LIFE GOES ON ・・・」。「それでも」と「そして」の、この勘違い。、そこのところなんだろうなあ。この映画の内容が私の頭にあまり残っていない原因は。人生を半ば諦めたような登場人物がでてくる「それでも人生は続く」なんていう映画は存在してないみたいだから。(映画の内容が思い出せないので、どうも、いまだにあやふやです。単なる老化現象?)

今日もまた被災者のニュースが流れています。そして人生は続く。

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01/11/2004

国境を越えるバスはとても魅力的なのだ

イラクの戦争で、TVやWEB上に人質の映像を流すなんてことが流行らなければ、香田証生君もありふれたミッシングとなっただろう。

アジアの安宿では、「ミッシング」と書かれた張り紙が、旅行中に行方不明になった人の名前を旅行者に教えてくれる。ミッシングが、(たいてい強盗にあってそれっきりなのだろう)、旅行中に起こり得ること。そのことは安宿を基点にして旅行するパッカーならば誰でも知っている。もちろん自分の身に起ころうとは、普通は考えないだろうが。「***のルートでアメリカ人がミッシングになったみたい」などと怪しげな情報交換したりはする。

パッカー的に考えるとバクダッドまでのバスがあるということはバクダッドまで行くことが出来るということだ。情報によればVISAは必要ないようだ。バスのチケットが手に入ったということは、確実にバクダッドに行ける。魅力的だ。これはイケル。と考えたのだろう。事実、到着したのだから成功であった。その後の予定がどうだったのかわからないので、100%成功だったのかはなんとも言えないが。とにかく行けるところまで行ってみようという、自然な行動だったのかも知れない。アンマンに一泊しかしなかったのはアンマンでゆっくりしてしまえば、バクダッドに行こうという気持ちが萎えてしまう。ということだったのだろう。と、私はそう考える。

どこかの掲示板で香田君の行動を肯定した感想があった。旅のテーマが不明なので何とも言えないが、というような意味のことが書いてある。他人から見たらくだらないテーマを大事に抱えて、命の危険を顧みず旅行するパッカーは存在している。旅先で、そんな旅行者に出会って、彼から(彼女から)旅の話を聞くのは楽しい。そんな旅行者が一人いなくなったのなら寂しいことだ。

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