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10/10/2004

東洋的古代

金曜日に丸善の丸の内店に行った。買ったうちの一冊の「東洋的古代」。表紙の写真が始皇帝陵から出土した四頭立銅馬車模型。先週の土曜日に上野の兵馬俑展に行って来たばかりなのでなんか縁を感じるな。と思いつつ。その「東洋的古代」を読んでいたら、漢字のことが書いてあった。

漢字の性質は象形文字から音符文字へと発達していく過渡の形として理解する方が歴史学的
なぜアルファベットのように音符化されなかったかといえば、文字の庶民化が中途半端だったから。(庶民化されたからひらがなとカタカナが生まれたんだろうね)音符化されなかっために、発音が変わっていっても漢字は変化できない。漢字には幾通りもの発音があるのはそのせい。(文字の言語に対する不従順性と書いてある。)文字と言語が離れていったために、一つの国・時代の発音にしばられることなく漢字という文字が広まっていった。とまあ、こういうことらしい。(私の読解ではです。)
漢字の功罪は長い歴史を通じて判断さるべくして、ひとえに文字は言語に隷属すべしという原則からのみ論ぜられるべきではない。寧ろ私をして言わしむれば、例えば数字のように、それ自身が音価を持たず、1と書いてそれが英語のone にもなり、1st のfir にもなり、音楽のドにもなり得るような世界共通の符号こそ最も高度の文字性を有しているのではないかと思うのである。象形文字が音符文字に変わったのは、確かに一つの進歩であるが、同時に文字の言語に対する独立性を失ったことを認めなければならぬ。この点から言えば漢字はその言語への不従順性、独立性の故に責められるべきではない。
                     (東洋的古代 宮崎市定 中公文庫)

適当に抜粋したのだけど。たしかに漢字についても「文字は言語に隷属」するという前提で語られていることが多いみたい。それって、なんか違うな。と内心、反発していたので、これを読んで私はすっきりした。
中国で、発音することが出来ないのに中国の文字=漢字の意味がわかる日本人、を不思議がる西洋人というのもよく聞く話で。文字の言語に対する独立性か。などと考えながらロラン・バルト(なんか、懐かしい名前)は「象徴の帝国」で文字についてなんか書いていたのかな。けれど該当の文庫本はどっかにまぎれてしまって見つからない。「象徴の帝国」の表紙は仏像だったのですが、あれどこの仏像だったかなあ。

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